プロフィール

本名:愛場千晶(Aiba Chiaki )
ハンドルネーム:ちあ魔女
ヒーリング歴 20年
特技:ハンドパワー、
相手の前提を見つける
瞑想歴20年

著書
「自分の名前にありがとうを唱えると奇跡が起こる」
「1日1ページ自分を変えることば」
「言葉の宝石箱」 他

病気の方が どんどん治っていくのをみていたかたが
魔法みたいといったことからちあ魔女と呼ばれ出しました
■サイキックな祖母を持ち、隔世遺伝なのか、
私や妹は透視能力や、直観力があります。
東京都在住、江戸っ子3代目
祖父母は浅草で育ったそうですが(お寺は浅草)

■瞑想で私たちは例外なく
誰もが素晴らしい存在だと
体感しました。それを伝えていったら
自己免疫疾患の方が次々と完治しだした。
ガンが自然消滅した人が複数出てきた。
(私が治すのではなく、
本人が気づいて意識を変えて

完治させていきました。)
「私たちは素晴らしい存在」「ありがとう」に周波数を合わせると運気が上がります。の本参考
これを伝えるのが使命だと感じています。

■1993年 インドで多くの人をヒーリングする機会に恵まれる
帰国後知り合いに、波動で治す不思議な治療院に勤めてみては
とすすめられ、そこで修業をする。
■1995~22年、6000名以上のセラピストの養成、瞑想指導を行ない、
難病の方のサポートも行なっています。
1993年レイキ(手当療法)アロマや他のヒーリングの資格を取得。
1994年から10年間、山田孝男氏に師事し瞑想を学ぶ。
その他、療法を複数取得
セミナーに使ったお金は3000万を超えていたが
結局療法ではなくマインドが大事だと気づく。
創工能力開発研究所でセミナー講師をつとめる。
レイキでは治らないので色々と探しあるく
レイキに限界を感じ独自な用法を取り入れ、瞑想を取り入れる。
瞑想を使ったほうが効果があった。
1998年独立してヒーリングを始める。
(瞑想の山田先生に後押しされて独立)
独立をしてから多くの難病の人がやってくる。
瞑想でマインドを変えたら人生が変わる心の秘密を知る。
前提に鍵がある事を知る。
身体にいい情報がどんどん入ってくる。
そして多くの難病が治る
(愛場が治すのではありません。ご自身で気付かれて治るのです。)
瞑想でどうして病気ができるのかに気付く
(山田孝男ヒーリング瞑想講座卒業。2期生の開催がないまま終った。)

貴重な1年コースのセミナーでした。
ここで得たものが大きかったです。
病気になりうる思考がある。それを取り除いたらいい、
病気には周波数がある。健康にも周波数がある。
周波数を健康に合わせたらいい。
(ありがとうを唱えるとありがたい周波数に代わり
運気が上がります。
の本参考)
食べ物は10% 残りが思いだよ、
思いを変えることが 先だよと師が教えてくれました。
2012年 レイキを超えているから名前を変えなさいとある方に
アドバイスを受ける。ヒユラル気と聞こえた
2013年「宇宙の真理を使って幸せになる道を世界中に伝える」
が君の使命だよ とある方に知らされる
2016年 鮫島加陽子さんたちと、ひそかに使い続けていた

商品にほれ込みチアフルエナジーの一般販売を開始する、
マインドが変わるまで時間がかかる人がいて、
何かないかなと考えていた時に、結果にこだわったら
この商品に出会いました。オーラが変わるのがわかります。
元気になりたい方にお薦めです。

エネルギー入りで販売しています。
(オーラとは身体を取り巻くエネルギー場、健康度合いや
感情運気などを司っている。)
2017年 祈りを伝えろとエジプトアブシンベルで瞑想中
メッセージを受けとる

病気になるとまず、やるのが食生活を変えることだが(続きは食へ
これまでに、セミナーをしていて、受講生の方がご自身で
難病やガンが自然治したり、不安を解消した例が複数あります。
人は意識を変えると物凄い力を発揮する。そのお手伝いをしています。
意識を変えると、運気が変わりうます。セミナーに参加して
くださった方には、心の法則を探り
、幸せのお手伝いを
しています。病気が治る人と治らない人の違いは「前提」にある、

その「前提」を変えることができれば人生が好転し楽しく生きられる
ことを伝えている。

その病気完治に使った前提やマインドを人生喜びできるために
才能開花して生きるためにつたえている。
(詳しくは「自分の名前に ありがとうを唱えると奇跡が起こる」
の本をご覧ください。
経歴
4回の受験に失敗
アメリカンスクールに行くはずだったが
5歳のときに小学校受験を水ぼうそうで受け損ねる
(本番に弱いトラウマを作る )
この水ぼうそうが、病気は損だという強いインプットにつながり、
病気と無縁の体に
なっていくのですが、
当時埼玉の祖父母の家で水疱瘡になり、妹にうつると困るからと
隔離され、母と妹は家に帰り、祖父母の家でさみしい思いをした、
その上頑張ってローマ字も覚えて勉強したのに受験さえも
できなくなり、踏んだり蹴ったり
だったので、
病気ってなんてそんなんだろう。不条理だ、せっかく勉強したのに
受けれないなんて、なんてついてないんだろう。
絶対病気にならないぞと強く思ったのでした。
5才にして挫折を味わったわけです。水疱瘡のせいで、
幼稚園の時先生からのいじめの影響もあり、
アメリカンスクールに行けなかったトラウマを
長くひきづり、
ショックだった。
その後中学入試はくじ引きで落とされ
高校入試は(身長が15センチのび背骨を痛め)
身体を壊して偏差値を15も落とす。
大学入試の前日に飼っていたインコが亡くなり、
ショックで受験できなくなり希望に沿わない大学に行く。
小学校~大学まで何と、4度の受験に失敗
本番に弱いトラウマは25歳まで持っていた。
幼稚園のトラウマ恐るべし、

今のように推薦は少なく、
当時に受験は一本勝負でしたから、
そのトラウマといったら相当でした)
両親が結婚して10年ようやく授かったのでちやほやされて育つ。
子供時代 自信がない事には手を出さない性格だった。
泳げないからプールの授業やだ(体育は基本嫌いだった。)
それで仮病を使って見学をしていた7歳
(母親に見つかりその後スイミングスクール通う、
おかげで今でも4種目個人メドレーも泳げます。)
臆病なので自信がないことはてをださない、
それは今も変わってないのかもしれない。
ヒーリングはかなり自信があるからやってるわけです。
(1994~1998まで瞑想1日12時間とかやってきているのが強みです)
運動が大嫌いで、記憶すればいい勉強の方が楽だなと思っていた。
6歳の時は、ひらがなカタカナ、ローマ字ができたわけです。
アメリカンスクール行く予定だったので、普通の小学校に入る
ことになり、腐っていた。
あまりにとろいので、父親が小学校1年生の時の運動会で
「かけっこで3等とったら1000円、2等とったら2000円 1等とったら
3000円あげるよ」といいだした。
当時の1000円といったら、今の1000円ではなくかなりの額
だったと思います。お金欲しさに、おこずかいをたんまりもらう
イメージをした。そして運動会当日。奇跡が起こった。
前のリレー(足が早い子がでる)

競技で怪我した人が続出した。
風邪で休んだ人もいた。
で、どうなったか、どんどんずれていって、
当時背が高くなかった私が、最後の列になった。
最後の列は人数がたった4名だった。1人抜いたら1000円もらえる。
よーいドン。やっぱりビリで走り出す。
が、前の二人が、転んで転倒。
え~~~~~」とありえないことが起こりました。
不可能なことでも望めば叶うんだな。と思った6歳でした。
注)※私は人が転べばいいとは思っていませんでした。ただ
おこずかいをもらってお札をにぎってワクワクした場面を
思い描いただけです。

12歳小学校の卒業式で母親に「元服」といわれ、
もう大人料金だから好きに生きなさい。
犯罪以外何をしてもいい自分の責任で自由にやれといわれる。
(これが普通だと思っていたがかなり変わった母だったらしい)
祖母がサイキックで千里眼(透視ができる)
そんな親に育てられたから母も変わっている人だった。
自由に何でもやらせてくれたが
小学生時代は週に10日塾通いだった。
ピアノ、そろばん、英語、習字、ペン習字、絵画、水泳など。
塾のおかげでおこずかいを沢山もらえた。
英語塾のある千駄ヶ谷や新宿まで行く交通費とおやつ代を
いっぱいもらった。そこで
学ぶことは楽しい事インプットがされていたわけです。
学生時代からのアルバイトの延長でそのまま、長身と英語力を
生かしナレーターコンパニオン、キャプテン(総責任者)
まで経験する。
女性の職場で一見華やかではあるがストレスは相当なものでした。
靴に画鋲が入っていることもあったり、
いじめなどを多数目撃することも。
総理大臣やら天皇やらアスリートや芸能人などに出会える職場で
貴重な体験をする。
20代で管理職になると、新人教育や、色々な責任を持たされ
私が悪くないのに部下のミスで頭を下げ始末書を書くこともしばしば、
これが嫌で、当時は相当ストレスを溜める。

そこで、ストレス解消で色々なセミナーを回り自分探しを始める。
ブリ―ジングワークで自分の使命が降ってきて不思議な体験をする。
自分探しの旅へ海外に行くこともしばしば
アメリカにいとこや親せきがいるので、時々でかけたが
「自分ってなんだろう?」
給料も良かったし仕事は充実しているけど それだけじゃない気がする。
なにか物足りない、なんだろう・・・?と、
なにか違う気がする。と自分探しの旅に、
海外で1カ月~3か月滞在しする生活を数年経験。
タイサムイ島、ハワイのハレアカラ、ペルー、
ネパール、チベット、インド、エジプト、
オーストラリアのエアーズロックでUFO写真
など多くの神秘体験をし
誰もが素晴らしいんだを体感し
それを伝えて行きたいと思った。

そして、
ナレーターコンパニオンをやめて、
ヒーリングの道に入り
20年結果にこだわり今に至っています。
元気になったのという声を聞くのがうれしくて、
いいところに転職しました。
いいパートナーをみつけました。
こんないいことがありました。
というのをきくと、私もうれしくなります。
健康もそうですが
この宇宙法則を使うと自分らしく輝く事にも使えます。
前提を変えると輝けるをもっと伝えていけたいいなと思っています。
長々とお読みいただき 有難うございます。


5歳のとき、祖母の家、埼玉で水疱瘡にかかる。
その時に母は3歳の妹を連れて東京に戻る。
祖父母は優しかったが一週間も隔離され
寂しい思いをした。水疱瘡のせいで小学校の入試も受け損なう。
アメリカンスクールに行く予定で、英語を学んでいたのに
当時のショックは大きかったです。
身体は丈夫でなかった私が「絶対病気は損だ。」
ならないでおくんだ。と強く心に誓う。
体育大嫌いで、運動が苦手で、いっつも走るとビリだった。
小学校1年生の運動会であんまりとろかったので
父親が「3等とったら1000円、2等なら2000円、1等なら
3000円あげるよ」といいだした。
1000円もらえる~(今ではなく6歳の子供にとって1000円は
5000円かそれ以上の価値があったと思います。)
絶対もらうぞとおもったら、前のリレーでけがをした人が出て
休んだ人が出て、順番が大幅に動いた。
当時背は高くなかったのですが、一番最後の列になった。
そう、休んだ人が出たせいで4名だった。一人抜いたら1000円
運よく2人抜いたら2000円だよし、~とはしったら、転んだ人がいて
2000円をもらえた。
望めば手に入るんだ。と初めて実感した瞬間でした。
(受験に関しては、中学はくじ引きで落ち、高校では身長が
148センチから168センチに伸び、そくわんしょうになり、
授業中痛くて座ってられない、試験をしても途中で退出し
偏差値が15も落ちた。中3で身体が治ってからは巻き返しましたが
第一希望ではない高校に入る、大学受験も買っていたペットがなくなり
ショックで受験ができなくなり、希望でないところに入る
と4回の受験トラウマを背負うことになった。

学生時代ナレーターコンパニオンを経験
(総理大臣や国会議員アスリート財界人などと多く接する)
このときに、凡人とそうじゃない人の違いを探り
違いはマインドになることを見つける。
マインドが全く違う。
不幸になっても、スポーツは戻れない再起不能といわれても
戻ってこれたプロのゴルファーの方の話をまじかで聴くことができた
自分がトップに立ち、おごりがあった。もうスポーツはできないといわれ病院のベットで泣きながら、自分を振り返って、横柄な事に気がついて、今までお世話になった人にありがとうの手紙をかいた。
病室で書き続けて、皆に支えられている時が付いた時
病気が治り、またプロ選手として復活した。という話をまじかで見た
テレビを通してみたのではなく、まじかで見ると迫力が違う
そういう機会に恵まれた。人生が上手くいくコツが
かいまみれた仕事でした。
そのままコンパニオンにどっぷりつかる(OL経験は人事部に2年ほど)

■コンパニオン時代毎年3か月休暇をとって100回以上海外旅行をする
UFO遭遇、神様を信じない私が神と出会う体験など神秘体験多数,
幼稚園がキリスト教で、保母さんが変な人だったので、神様なんて
居るものかと思いずっと育ってきた。その時に神様は外じゃなくて
自分の中にいるんだと、不思議な体験をする。
■1988年気功のセミナーに出てエネルギーが見れるようになる
■1990年 知り合いに手を当てると10年来の頭痛が治った
この奇妙な経験からヒーリングをはじめる。
インドでも治してほしいといわれ、私の前に行列ができた。
そして不思議な事に皆が元気になっていった
■1993年レイキを取得し、山田孝男先生から10年間瞑想指導を受ける
■1994年セミナー会社でヒーリングの講師をつとめる
セミナーには、重病などの重たい人ばかりが集まってくる。
が、かなりいい結果が出る。
重症の人が多く受講され、どうしたら皆がよくなるんだろう
と追及をし続ける。
セミナー会社の社長からは結果なんて出なくていいからと怒られる。
セミナーで教えている事以外の事を伝えていたら怒られる。
☆瞑想中にだれもが素晴らしいんだと体感、これを伝えたら
誰でも楽に生きられる事に気付く。

自分の素晴らしさを体感したら病気も快方に向かうし楽に生きられる。
しかし、セミナー会社と私の伝えたい事に相違があった。
当時の社長はそんなことどうでもいいから、と言われる
結果は出なくていいの言葉に 引っかかった。迷った末瞑想で
決意し独立を決意。(この社長は後日50代で亡くなった)
■1998年自分の伝えたいものをと独立
■誰もが素晴らしいんだという意識が伝わるようになる
エネルギー伝授が数倍もパワフルになった。
変化が速くなった、
受講生コミュでのシェアなど 無料フォローを充実
■ 2017年からエネルギー伝授は瞑想体験を取り入れ
オリジナル進化する。
エネルギー伝授をしたほうが健康に、さらに
マインドがクリアーになるのでそれらを取り入れて
■ 「自分の素晴らしさを体感する、不安を軽減するセミナーを開催
病気の人だけではなく
心の不安をなくしたい人、
才能開花をしたい人
瞑想を使い家族を癒したい人向けに セミナーを開催
2017年エジプトのアブシンベルで
祈りを伝えろとメッセージを受け取る
■伝えたいもの
「私達は例外なく誰もが素晴らしい存在、
ダイヤモンドのように輝く存在
瞑想ではっきりと体験した。
(ダイヤモンドの原石 磨くのは自身です)
多くの人が自分の素晴らしさに気付いたら人生が激変好転する、
不安も減る。
これを伝えたいと思い今に至っています。
瞑想セミナー誘導中に、宇宙には発掘されていない宝がある

これらを伝えている。瞑想へ

本物を伝える